今、35歳の自分から、25歳(社会人2年目)だったころの自分にアドバイスのための手紙を書きました。手紙の前に、25歳の私がどういう人物だったかをご紹介します。
当時の自分はこんな仕事・こんな人
25歳だけど社会人2年目
大学から東京に上京し、そのまま東京のITベンチャーに就職しました。
就活はホリエモンが捕まった前後ぐらいだったので、ITベンチャーに就職するなんて大丈夫かと親に心配されました。将来自分で独立したいというアタマでいて、業界はどこでもよかったのですが、結局自分の将来イメージと考え方が合うのがIT業界の人たちでした。
大学卒業に6年ほどかけてじっくり卒業したので、25歳は新卒で入社して2年目に当たります。4年で大学をストレート卒業していれば、社会人年齢としては23歳と同じ年に当たります。
「1年目から責任ある仕事を任せる」と言われてる?
「1年目から責任ある仕事を任せる」という、この言い回しはうまくできています。
大人になった今の自分であれば、1年目から責任ある仕事を任せるという言葉の裏にどういう文脈が隠れているのかも理解できます。簡単にいうと「教えるお金も時間もないし、ささっと稼げ」ということです。
当時いた会社は、本来当てはまらないはず新卒の私が裁量労働の対象者となっており、残業代は一切出ませんでした。
https://befree.tokyo/sairyo-rodou/
残業代ほしいなんて本当に思ってなかったし、そんなことより「何か社会に誇れる成果を出したい!」と思ってがむしゃらに仕事をしていました。社会に誇れる成果というのは、入社2年目で新規事業の責任者になったとか、部長になったとか、そんなことです。
今思うと目線が内向き、社内向きに過ぎていました。
たくさんの先輩たちが会社に泊まる
会社には日々先輩たちが寝泊りをしていていました。寝泊りといっても、仮眠室ではなく、普通に仕事していたところの床とか、複数の椅子を繋げてベット風にしたりして寝ていました。
寝食共に全て会社!という感じで、がむしゃらに仕事に取り組んでいた、というのがまさにぴったりの時期です。
ちなみに、営業が集まれないという理由で、営業会議が毎週、土曜日の朝でした。
寝る暇がないほど忙しい先輩が、お客さんとの打ち合わせが遅くまでかかって、そのまま会社に戻るタクシーの窓を開けて、うぉーーーー!!!!って叫んで泣いていた
役員が血尿が出たと、それほど頑張って1人前だと教えてくれた
離職が非常に多くて、優秀な先輩ほど先にいなくなっていった
25歳の自分への手紙「がむしゃら。にも戦略を持て」
To 25歳の自分へ
若いうちに一生懸命、仕事をした経験は30代以降になって大きな差になって出てきました。
君が今がむしゃらにやっていることの一部は今も私に生きています。
何より今、君が一生懸命やってる姿を見ていた人達が、将来君を応援してくれる大切なつながりになっています。
スキルや経験という意味では、もっと貪欲に社外に情報を取りに行くべきです。
社外と言っても、大学の同期との飲み会や先輩に連れられて行く飲み会ではなく、具体的なスキルアップのためのスクールに通ったり、ビジネスマンとしてどの程度通話するのかを知るために転職市場に出てみて、世の中の自分の位置を客観的に知ることです。
今君がいる会社を箱に例えたとして、君はその箱の中に入っているとします。
箱の内側にいるとその箱の素材や大きさ・重さがわからないけど、外から他の箱と比べると、その箱が何が優れてて、何が劣ってあるのかが始めてわかります。
君に必要なのは、早く外を知ることです。
結局、俺は合計で5年間、今いる会社で仕事してたよ。つまり、今からさらに4年いる。それは、「あれ、この会社で営業してても得られる経験がプアだな」って認識できて、動き出したのが4年目だったから。そしてそれは、今の君でも外に出れば気づけることなんだと思う。
最後の一年、5年目は、自分でデジハリの教室に通って、プログラミングやデザインのトレーニングをしたよ。
今の君の時代は心から羨ましい!だって、俺は物理的に学校に通ったから、時間も場所も拘束されてたけど、今ならテックアカデミーみたいなオンラインスクールが充実してるから、俺が今の君ならこういったもので勉強すると思う。
あと、転職サイトや転職エージェントも今から登録して、外の世界の情報を取りに行った方がよいよ。
登録無料なんだし、その行動を今すれば自分を早く客観的に見れて、次のステップに進むのが2年早められる。だから、絶対今やるべきだよ。
頑張るのはすごく応援しています。社外に出て、自分で情報をどんどんインプットしていってください。
正しい判断は、正しい情報を持っているからできます。
頑張れ、25歳の俺!エールを込めて。
by 10年後の俺
以上。

